さまざまな災害現場で活躍する、災害派遣医療チーム「DMAT」。
今回は、多治見病院のDMATの活動についてご紹介します。
災害現場で活躍する医療チーム「DMAT」
DMATとはDisaster Medical Assistance Teamの頭文字の略で「DMAT(ディーマット)」と呼ばれています。多治見病院のDMATは2007年1月に県内では4隊目として創設され、医師2名、看護師2名、連絡や情報収集、食事の手配、医薬品の確保などを行う業務調整員1名がドクターカーと新生児救急車(マイクロバス)の2 台体制で医療支援を開始しました。これまでに、2011年の東日本大震災ではDMATが茨城県で、医療教護班が宮城県亘理町で4隊が活動し、2016年の熊本地震では医療救護班として1隊が派遣されました。また、災害ではありませんが2020年には新型コロナウイルスの集団感染が起こったダイヤモンド・プリンセス号でもDMAT1隊が医療支援にあたりました。
能登半島地震における当院DMATの活動
今年1月1日に起きた能登半島地震においては、医師1名、看護師2名、業務調整員2名で構成した第1~3隊が活動しました。地震発生翌日に岐阜県よりDMAT出動要請を受け出発したのが第1隊です。現地は道路が所々崩れ、大きな段差もできており、通信も途絶えるなど劣悪な状態でした。渋滞に巻き込まれながら市立輪島病院に向かい、金沢市内への転院搬送の依頼があった3名の入院患者さんを2台に分乗させて搬送しました。救急車のサイレンを鳴らし緊急走行をしましたが、天候不順や道路の寸断もあり金沢市内まで約6時間を要しました。第2隊は1月23日~25日に現地に入り、避難所から福祉避難所への搬送や、ケアハウスの調査、車中泊をしている要配慮者の診察、患者搬送などを行いました。第3隊は1月29日~2月1日に市立輪島病院の病院指揮所の本部活動と病院支援活動に従事しました。過去の出動も含め本部活動は初めてで、非常に貴重な経験でした。また、宿泊が被災病院内になり、テレビではわからない一般市民や病院スタッフの苦労が身にしみて理解できました。
さまざまな災害に対応できる力を備えた病院を目指す
私たちDMATが活動できるのは、快く隊員を送り出してくれる病院の理解があってこそです。今回の能登への派遣も、隊員の勤務を交替してもらった職員の理解と協力で成り立ちました。災害支援をしている職員を支える家族の皆さんにも感謝しています。
地震や豪雨などの自然災害や人的災害(テロ)、新型コロナウイルスのようなパンデミックは、いつどこで発生してもおかしくない状況です。DMATだけでなく病院全体で対応できるようスキルアップをしていく必要があると思っています。当院は新棟開設にあたり、ドクターヘリ、防災ヘリが離着陸できるヘリポートを設置し、浸水被害を避けられるよう各種検査機器は可能な限り2階以上に設置しました。さらに災害対策のエキスパートの後進を育てていくことも私たちの責務ですので、院内および院外活動を今後も広げていきたいです。